怒濤の5年間 そして新たに。。。

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10月24日は ぷりんの5回目の命日でした。
もう、5年。。。

今でも1日たりと思いださない日はありません。
大袈裟では無くて 

ほら ぷりんは私の手の中に居てるから。。。

なんのことだか分からん!という方は

こちらから


悪性リンパ腫になって
抗がん治療して
完全寛解したのもつかぬま
半年後には 脳に転移して
毎日毎日 発作に苦しめられ。。。

旅立っていった朝のことは今もはっきり思い出せます。

辛かったと思います。
苦しかったと思います。

でも、 ぷりんは最後まで 勇敢に病魔と闘いぬいたのです。
その姿は私たち家族の心に焼きつき ぷりんを心から誇りに思っているのです。

多分私たちは 私だけではなく ぷりんの死を乗り越えたことで
その後の生き方は 変わった。。。と言えるくらいです。

いっぱい 一杯 いろんなことをぷりんは 私たちに残して行ってくれたのです。


ぷりんが亡くなったのが 2005年10月24日

そして 我々の元に 「大和」がやって来たのが
2006年1月7日でした。

大きな大和を迎え てんやわんやの日々
大和も私たちが必要だったかもしれないけど
私たちも 「大和」が必要だった
お互い 手を差し伸べ何かを補いながら
癒しながら日々だったように思います。


そんなこんな日々を過ごし ぷりんが亡くなって 丁度1年後の
2006年10月25日

本当に一日違いで 私の実父が亡くなったのです。
ぷりんと病名は違いましたが
ぷりんと同じように最後は「呼吸が出来ない苦しみ」が父を襲ったのです。

刻々と変わる病状 
次から次へと重い決断しなければならない状況

全く頼りにならない母とうろたえる妹の元に
千葉から駆け付け 鞄を置く間もなく
カンファレン室で医師達の説明を
少しは冷静に聞くことが出来たのも 
父の前では 笑顔を作ることが出来たのも
最後まで希望を捨てずに道を探すことが出来たのも
父の苦しみを少しでも和らげることが出来るように決断出来たのも

他人様は 笑うかも知れないけど
私は ぷりんと一緒に闘った日々があったからこそ

だと思っているのです。

それまでの私と言ったら 病気なんか関係なく
病院も 医師も遠い存在で

先生が意味のわからない言葉なんか言っても
聞き返す勇気も無くて 笑ってごまかし
分かっていないのに 分かったふりなんかしてしまい
結局は なんとなく いろんなことを決めてしまい
いや、決めさせられてしまい
納得の出来ないまま 父を見送ってしまったことでしょう。


もちろん ぷりんだけではありません。
千葉から遠く大阪で 父の元にずっといられたのは
パートナーである夫や 大和を預かってくれた人や
医学の知識のない私に アドバイスしてくれた 看護師の友人などなど
様々な人々のお陰なのです。


実際 私たち夫婦は ぷりんが亡くなった時
すべてを呪いました。
納得なんて出来ない。出来なかった。
何故 ぷりんなのか
何故 リンパ腫なのか
何故 再発したのか
何故 リンパ腫が脳に転移したのか
何故 呼吸器官がマヒしたのか
何故 視力を奪ったのか・・・・
何故 私の可愛い大事なぷりんなのか!


全然 納得なんて出来なかった。
何もかも すべてを恨み 呪いたかった。




でも 恨んでも 呪っても 悲しみは消えない。
私は 宗教なんて関係ないし 信心深くないし
思慮深くもなければ教養も無い。

だけど 悲しみを癒すのは

「感謝」だけしかない。

と今は思うのです。
その想いを 最後父に素直に言えたこと
それは やっぱり良かった。
大和が私の気持ちを和らげ
ぷりんが 背中を押してくれた

と思っています。


父を見送り まだ 落ち着かない 翌年
2007年3月 転勤で奈良に引越し
奈良の大学に下宿し通学していた娘と
再び一緒に住むようになり
家族 水入らずになり 落ち着くかと思ったその年の秋

2007年11月

小さいけどとんでもないやんちゃな問題児

飛鳥丸が私たちの元にやって来たのです。
何故 飛鳥丸を引き取ったのか

正直なところ 今も分かりません(笑)

だって 写真1枚で 引き取ろうと決めて 熊本から
飛行機でやって来たんですよ
なのに。。。。 抱き上げようとしたら 縁の下に逃げ込んで
出てこないどころか触ろうとしたら 
まるで殺されそうな悲鳴を上げて。。。。

今じゃ 笑い話

きっと 来るべくして来た
きっとうちの子になるために 熊本の保健所に
連れて来られたんだわ。。。


そう思わずにはいられない。

やっと抱きあげられて 触れるようになり 
ワクチンさえ終われば 散歩も出来る。。。

と思ったのに 今度は

先天性の心臓疾患が見つかったのだから

「動脈管開存症」

でも的確な手術すれば完治可能といわれ
喜んだのもつかの間

今度は 

「血液凝固異常」なんて言われてしまって

心臓の手術をしなきゃならないのに
「血が止まらない」

なんて あんまりじゃないですか


秋田犬って 半年で20キロにもなると言うのに
うちの飛鳥丸は 6~7キロほど
獣医さんには 柴サイズの秋田犬 15キロにはならないかなぁ

なんて言われてしまうし
心臓は悪いって言われるし
血は止まりにくいと言われるし

飛鳥丸 おまえはなんという運命の元に生まれてきたんだ。。。

ついつい暗くなりがち私に
「元気玉」を送ってくれるのは 飛鳥丸
彼自身

いっつもニコニコで走り回って 転げまわって
「ボク 生きているよ 生きているよ 生きているんだ!!」って
全身でぶつかってきてくれた

その飛鳥丸が一番信頼していたのは 「大和」

飛鳥丸が我が家に来た日から 困り顔しながら
飛鳥丸の傍若無人な めちゃくちゃな暴れん坊にも
忍耐強く 穏やかに 優しく 時にはキビシク
飛鳥丸に接してくれた。

飛鳥丸の気持ちが一番よくわかってたのが
大和なんだ。。。きっと

そういえば 大和も うちに来たころは ハチャメチャだった。
でも、やっぱり 「生きてるよ 生きてるよ 」
「今日はこんなところに行ったね! こんな人にあったね! こんなことしたね!
母ちゃん 生きているっていいね! いいね! 嬉しいね!」って
体中で言ってたもんなぁ~

飛鳥丸の兄弟は 酷い栄養失調で保健所で餓死したという
持ち込まれた時には 手遅れだったのだ。
そんな中 心臓が悪いのに 飛行機に乗って やって来た飛鳥丸

先生は手術までは出来るだけ 安静に。。。って言われたけど

いいさ 大和とのプロレスだって やっちゃえ~
ドッグランだって行っちゃったさ

それで もし もし ダメだったら仕方ないよ
今を 生きているんだもんね 飛鳥丸
大和が好きなんだもんね 飛鳥丸

生きているのが楽しくってしかたがないんだものね。。。 


循環器専門のお医者様をかかりつけの先生が紹介してくれて
6時間に及ぶ手術を 無事 乗り越えた飛鳥丸

「ありがとう ありがとう」

感謝するしかないじゃないか


血液の凝固異常も 多分 栄養失調から来たのだろうと言うことで
3歳の今では 全く問題なし

そのあとも 大和は「血小板減少症」と言われるし
本当なら 体が紫色になるくらい 重篤になるはずだけど
大和は なんかしらんけど
今は 元気だ

飛鳥丸だって 時々歩けなくなったりして 
リュウマチの因子を持っているかもしれないなんても言われたけど

でも、今は元気!

そう、今は元気なんだ

先のことは分からないさ。。。みんなね!


しかし ふり返ってみれば この5年間 いろんなことがあった。

そして来春
私たちは 千葉に帰ります。


まだ 怒濤の日々は続く。

と言うことで これからも よろしくね。

ぷりん

そして 皆様m(__)m

いつもは口に出して 申しませんが

「感謝しております。」
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by yamato_01w | 2010-10-28 18:25 | 家族  

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